馬産地コラム

ローマンエンパイアを訪ねて~中島牧場

  • 2011年03月08日
  • ローマンエンパイア~1
    ローマンエンパイア~1
  • ローマンエンパイア~2
    ローマンエンパイア~2
  • ローマンエンパイア~3
    ローマンエンパイア~3

 記録よりも、記憶に残る名選手。例えるならば数よりも飛距離にこだわるホームランバッター。それがローマンエンパイアという馬だった。

 出遅れて向こう正面で14頭をゴボウ抜きした新馬戦。後方に待機し4角手前からロングスパートを決めたさざんか賞。いきなりの距離延長に戸惑いながらも同着に持ち込んだ京成杯(G3)。そのどれもが、見るものの印象に残るレースだった。しかし、その京成杯(G3)を最後にローマンエンパイアは輝きを失っていく。

 「能力は高かったと思うけど、よく分からない馬でしたよね」というのは生産者の中島牧場、中島雅春さんだ。「今にして思えばですけど、自分としては2戦目のさざんか賞(1400m)が一番強かったと思っています。母親がスピード馬でしたし、兄姉もそんなタイプが多かったから、やっぱりあれくらいの距離があっていたんじゃないかなって。でも2000mの大阪城Sも勝っているし、1800mのエプソムC(G3)も時計差なしの2着に追い込んでいます。やっぱり分からないですね」とクビをかしげている。

 それでも、今、改めて成績をふりかえると2000mで2勝。その一方で皐月賞(G1)以来、10か月ぶりの実戦となった淀短距離Sは大外をまわりながらも推定あがり3ハロン33秒1の豪脚で2着となっている。適性距離は永遠の謎だが、ひとつ言えることは、この馬が常識にとらわれるようなタイプではないということか。

 そんなローマンエンパイアだったが、晩年はボロボロだった。5年半に及ぶ競走生活で半年以上の休養が5度。うち3度は10か月以上に長期休養になった。見るものの記憶に刻まれるようなレースは、みずからの肉体を確実に蝕んでいたようだ。8歳春、エプソムC(G3)で15着と敗れたあと、JRA時代のオーナーから引き取った中島さんは愛馬を公営金沢競馬へと向かわせた。旅路の果てではない。誇りを取り戻すための移籍だった。「漠然とですけど、引退後は種牡馬にするつもりでした。その前にもう一花咲かせてやりたいと思ったのも、自分にとっては自然なことでした」とふりかえる。そんな中島さんの思いを汲み取るように、ローマンエンパイアは転入初戦をかつてを彷彿させるような豪快なレースぶりで快勝する。そして、金沢競馬最大のレース、白山大賞典への出走を決めたが、レース直前に骨折が判明する。「残念でしたけど、あれで吹っ切れたような気がします」と同馬の種牡馬入りを決めた。

 2011年にデビュー年度を迎える初年度産駒は2頭。そのいずれも中島牧場で産声をあげている。「まずは1勝。これは、ウチの牧場で生まれた馬は全部一緒なんですけど、もし勝ってくれたら特別な1勝になりそうですね」と目を輝かせている。