馬産地コラム

ゼンノロブロイを訪ねて~社台スタリオンステーション

  • 2010年12月25日
  • ゼンノロブロイ~1
    ゼンノロブロイ~1
  • ゼンノロブロイ~2
    ゼンノロブロイ~2
  • ゼンノロブロイ~3
    ゼンノロブロイ~3

 結果がすべてではない。人生の美学においてはそうかもしれないが、プロのアスリートが求められているのは結果だ。「勝つしかない」という強い気持ちは、ときに観るものの心を揺さぶる。

 2004年12月26日、第49回有馬記念(G1)。ゼンノロブロイに求められていたのは勝利だった。3歳時はダービー(G1)2着、菊花賞(G1)4着、有馬記念(G1)3着。年が明けて天皇賞(春)(G1)2着、宝塚記念(G1)4着。堅実という言葉は優しいが、G1レースに勝てず善戦マンの域を出なかったゼンノロブロイに訪れた転機は世界の名手O・ペリエ騎手との2度目の出会いだった。

 初コンビを組んだ前年の菊花賞(G1)。勝負どころで包まれ、直線でも行き場をなくしたゼンノロブロイは4着まで追い上げるのが精一杯という内容だった。そのペリエ騎手に導かれるように先頭ゴールインを果たした天皇賞(秋)(G1)は13か月ぶりの勝利でもあった。距離不安をささやかれたジャパンカップ(G1)は、さらに力強い脚を見せて優勝。

 そして迎えた、有馬記念(G1)の大一番。堂々の一番人気に指示されたゼンノロブロイはそれまでの戦法から一変し、タップダンスシチーをピッタリマークするように2番手を進んだ。人気を分け合った宝塚記念(G1)では前を行くタップダンスシチーの影をも踏めずに敗れている。その轍は踏まないという強烈な意思を感じる。
 
 しかし、凱旋門賞(G1)帰りのタップダンスシチーが刻むペースは極めてタフなものだった。一度たりとも13秒台に落とすことなく、後続馬のスタミナを奪っていく。そして3コーナーはるか手前の向こう正面からペースを上げて、さらにライバルたちをふるいにかけた。スタミナ自慢のヒシミラクルやデルタブルースの息があがる、そんな持久戦を制したのがゼンノロブロイだった。あまり語られることはないが、従来のレコードを1秒以上短縮した内容に勝者の強さを見た。

 その後、社台スタリオンステーションで種牡馬となったゼンノロブロイの名前に再びスポットがあたったのは2010年。コスモネモシン、サンテミリオン、ペルーサ。初年度産駒が次々に重賞を制し、桜花賞(G1)に3頭、オークス(G1)には6頭。そしてダービー(G1)の舞台にはペルーサを送り込んだ。そればかりか、マカニビスティーが東京ダービーを、マグニフィカがジャパンダートダービー(Jpn1)を勝って父の名をあげた。

 「産駒はオールマイティな舞台で活躍してくれるので、ランキングに強いタイプかもしれませんね。父親譲りの気性を持つ産駒が多いと聞いていますが、それもまた頼もしい限りです」と同スタリオンでは評価する。2011年の種付料は500万円。それはキングカメハメハやマンハッタンカフェと並び、ディープインパクトに次ぐ高額なものとなっている。

 秋の古馬三冠馬が、3歳三冠馬に挑戦状を叩きつけた。