馬産地コラム

あの馬は今Vol.31~天皇賞秋・ニッポーテイオー

  • 2007年11月05日
  • 今のニッポーテイオー~浦河町・優駿ビレッジAERU
    今のニッポーテイオー~浦河町・優駿ビレッジAERU
  • 同

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 1987年 11月1日 
  天皇賞・秋 優勝馬 ニッポーテイオー

 昭和12年にスタートした天皇賞は、かつて「帝室御賞典競走」という名称だった。またの名を「馬事国防献金競走」。その名前から察せられるとおり、このレースは、戦争兵器としての馬匹改良を目的とした能力検定の場であった。天皇賞が数ある根幹競走の中で、最も重い斤量を背負い、最も長い距離を走るのも「人間が運べない重い荷物を運べ、人よりも速く移動できる」馬を選び出すための手段だった。それゆえに、優勝馬には“御賞典”という賞金以上の名誉が与えられたのである。

 時代は変わり、競走体系の見直しの中で秋の天皇賞は2000mに短縮された。当時は賛否両論あったが、伝統は変わることなく受け継がれ、1987年、皇太子殿下夫妻(現在の天皇皇后両陛下)を競馬場に迎えて施行50周年を迎えることになった。
 その記念すべき天皇賞で後続に5馬身の差をつけて勝ったのがニッポーテイオー(24歳)だった。デビュー戦で後続に2秒2という記録的大差をつけて逃げ切った快速馬だったが、その後は一本気な性格が災いしたか勝鞍に恵まれず、2番人気に支持されたNHK杯(当時はダービートライアルの2000m)も8着と惨敗。他のライバルたちがクラシックの王道を歩む中、ダービーを断念せざるを得ない状況に追い込まれた。
 大きな挫折の中で、短距離路線に方向性を見出したニッポーテイオーは快進撃を開始する。そして、古馬最高の栄誉といわれる天皇賞を制するまでになった。ニッポーテイオーは、時代が求めたヒーローだった。
 
 あれから20年の歳月が流れ、今は浦河町の優駿ビレッジAERUでダイユウサク、ウイニングチケットとともに静かに過ごす日々を送っている。「芯の強い馬で、3頭の中ではボス的存在ですね」と乗馬スタッフ。年齢を重ねて24歳になったが、食欲はあいかわらず旺盛で「多少のことには動じることなく、一日中草を噛んでいます。内臓が丈夫なんですね」と頼もしそうだ。ボリッボリッという心地よい音が休むことなくあたりに響く。
 カメラを手に近づいても、われ関せずといった風だ。ウイニングチケットが人懐っこく近づき、ダイユウサクが遠くをウロウロしても、ずっと下を向いている。「もっとファンサービスしてくれるといいんですけどね。ずっとこんな調子なんです」とスタッフが笑った。
 いいんだ、いいんだ。サラブレッドには気高さも必要だ。それは、天皇賞馬のプライドと言い換えてもよい。時代に選ばれたヒーローは、その存在そのものが私たちの誇りなのだから。

             日高案内所取材班